2009年8月19日水曜日

僕の考え方のルーツ  なぜ、勉強するのか

 昨日、コメントくれたみなさん、ありがとうございます。
三日坊主にならないように頑張ります  うっ(´;ω;`)

 えー、僕の考え方の根底にあるのは「荀子(じゅんし)」です。
詳しくはWiki などで調べていただければいいと思いますが、簡単に・・・。

 この人は、人間は元々「悪」の性質をもっているという「性悪説」を唱えた人であります。
ただ、申し上げておかねばならないのは、現代で言うところの「悪」とは違う!
ということです。
 荀子の言うところの「悪」とは、すなわち人間の持つ・・・「本能」、と僕は解釈しています。
例えば、人間はものを見るときに、自分にとって都合よく見えるようにフィルターをかけてしまう。
体は楽をしたがるし、心は楽しさを求める。欲には際限がない、と先生は言っています。

そして、この欲が前面に出てきたとき、色々な面で不合理や、紛争などが発生する、と。
確かに、そうですね。小さくは、最近の、のりぴーの問題なんかも。
人の親であり、公衆の面前に立つ人であるからこそ、薬の誘惑に勝たなければいけないと思います。

荀子は、では、どうすればいいのか、というところまで言及しています。

「礼」を重んじ、一生勉強しろ。勉強のみが「悪」を押さえ込むことができる。

全く、同感です。この人はもっとすごい人なんです!大昔のひとですから、天罰を恐れていた時代なんですが、こうも言ったらしいです。

「天罰なんてもんはない!ただの気象現象にしかすぎん!気象について、勉強せい!」

いまの時代なら当たり前ですが、異常気象=天罰と考えて、恐れていたこの時代の背景を考えたら、すごい・・・・。
ちょっと脱線してしまいましt(;´ρ`)

実際、勉強というのは、自分が生きていくうえで、自分の力となるものであり、生きていく糧となるもの。
それだけだなく、例えば、人傷つけずに済むにはどうしたらいいだとか、人間関係を円滑にするにはどうしたら良いかということを、学ぶこと。決して、学校のテストで点が取れるとか取れないとか、そんな次元の低い話ではないものです。

たまに、ブチっときた子供たちや、保護者の方に聞かれることがあります。

「そこまでしてやった勉強は、一体、将来なんの役に立つのか?」

この場を借りて、お答えしましょう。

勉強は手段であり、方法、更には結果です。
また、究極のツールであって、使うのも自由、使わないのも自由。
使い方を学ぶことも、また勉強です。

だからこそ、中3で学ぶ「平方根」なんて、大人になって使わないよなぁ・・・
などと言うのは、大人の人達、是非やめてください。(´;ω;`)

自分で平方根を使わない職業に就くことを選択したのです。

勉強は、一生しなければいけないですし、勉強=反省とも言えると思うのです。

小、中でする勉強はその勉強の基本、土台と言うことができる大事な部分。
土台だけ見て、「つまんねーなぁ」って言ってても、「当たり前ジャン・⌒ヾ(*´_`)」

って感じです。

小、中学生諸君! 勉強しろ、勉強しろ、勉強しろ、勉強しろ

「勉強しろ!」

今日のところはこんなところで(/ω\)

また次の機会に ('∇')ノシ

1 件のコメント:

dokaben さんのコメント...

すゴイ