2010年6月10日木曜日

竹原市長(二度目の登場)

この方の小学校の卒業式での祝辞を引用。


卒業生の皆さんご卒業おめでとうございます。
 今日は、みなさんにとって特別な日ですから、
特別なお話をいたします。
私は小学生の頃「大人は本当のことを言っていない、
たぶん何も分かっていない。」こんなふうに感じていました。
おそらく、皆さんの中にも同じように感じているひとがいる事でしょう。
 私は答えを探し続けました。30年以上探しまわって
 やっと見つけました。答えは単純です。
それは「私たち全部がひとつの命だ」という事です。
宇宙のすべてが影響しあって人類を生みました。
今も自然と人類が影響しあう所に自分が居ます。
私たちは、みんながひとつの命の一部分なんです。
みなさんの体は仮の姿です。
ほんとうのところ「個人」というものはありません。
例えば、地球の反対側で誰かが悲しむとき、
それは皆さんの悲しみでもあり、全体の悲しみです。
誰かの喜びは、同じように全体に影響します。
皆さんが、一時的に利用している体が 
どのようなものであるかは問題ではありません。
私たちの本体である宇宙の命は永遠に続きます。
(中略)本日は本当におめでとうございます。


…。 すごいですね~。

おっしゃっている事、「春と修羅」の引用でしょうか?
とにかく。
ご自分でできないことを、将来ある子供にぺらぺら語ってはいけませんね。

自己陶酔を感じますね。
なんとも言えない、嫌悪感を感じざるをえません。

この方がどんなことをお考えであろうと構いません。
それこそ、思想、信教の自由が認められていますから。

ただ。この思想というか、宗教観のような持論を、
公立の小学校の卒業式で、市長が言うのはいかが?

この方、国家や司法の批判を繰り返しておられるようですが、
少なくとも、中学校の公民分野においては、
国家、司法のありようを批判してはいません。
教科書が間違っているという前提でお話をしているのでしょうか。

この人の発言は、不快になる要素を多く含んでいます。

市議会の議員さんの発言なんかにしても、

「無能な人間が多く集まっても意味がない」

これって、危険、危険。

民主共和制を根本から否定していますから。
そもそも、歴史から人間が学んだことを全否定しちゃっている。

皇帝とか国王という人達が優秀であれば、
いい国政ができる。
確かに、そこは否定のしようがありません。
いたる所の文明においても、
開祖、中興の祖、という優秀な統治者が生まれて、
幸福な時代を過ごしている事実もあります。

なんですけど、
「ネロ」や「ヒトラー」のような独裁者の存在をどうするのでしょう。

そういう、猛威をふるった独裁者の存在を許してしまった反省から、
民主政治は生まれたのでしょう。

民主政治の根本は、「自己否定」にあると思います。

「俺たちって小さくておバカな存在だし、
欲もあって、お金にも弱いじゃん?
だから、沢山の間違いを犯すわけさ、
だから、みんなで集まって話あって色々なこと決めていこうよ」
ってことだと思います。

僕は、これだけは強く言っておきたい。

優秀な独裁政治よりも、
腐敗した民主政治の方が、よりシステムとしては、
人のためのものであり、優秀である、と。

そもそも、独裁政治は、楽をしようとする民衆によって担ぎ出される、
ヒーロー願望の産み出す偶像。

自分は、どんなに矮小な存在であっても、
互いに認め、研鑽しあい、批判しながら、
よりベターな道を選ぶ民主国家こそが、
人類が唯一誇ることができる、発明品だと思います。

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